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〈自己成長〉のカギの一つは〈メタ認知〉

ビジネス・鍵(提供,photoAC)
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何か問題が起きた時,自分が周りからどのように見られているのかを気にされたことはありませんか?
自分の言動に対して非難されたとき,どのような態度をとっておられますか?

他者の考え方に対する受け止め方,事象に対する対応の在り方で,自らの評価を下げ,信頼を失うことをご存知ですか?

失敗を認め,指摘を受け入れ,自分自身を客観的に認識することは,〈自己成長〉の一環です。

 1 人の褌で相撲を取るな

本日はとても残念なことがありました。
以前からそうだったのですが,当塾のブログ等に掲載する考え方や情報を営利目的のために,出典・典拠を明記することもなく,無断で使用する他団体が存在しており,当塾の顧問弁護士に相談するなどの状況がありました。
何度も警告したにもかかわらず,本日も当該他団体が同様の行為を行っていることが発覚し,対応に追われたのです。
一旦,ブログ等に認めれば,盗用も致し方がないとの言説が巷間にはあります。しかし,特に,教育を騙る他団体の非行を看過するわけにはいきません。
なぜに世の中はこうもエゴイズム(egoism)の巣窟と化しているのか。誠に残念でなりません。

これは,塾長があるところに提示するために書き記したものの一部です。
当然,私も塾長と同じ心境であり,教育に携わっているという人たちがこのような悪態で良いのだろうかと残念でなりません。それとともに,この人たちには〈正常なプライド〉の欠片も罪悪感もないのだろうなと感じます。

「これ使える!!」「これいいじゃん!!」と取って付けたものは,文章であろうが口頭であろうが,見る人が見ればすぐに〈ニセモノ〉と見破れます。言葉一つとっても,それについてしっかりと学びを深めていないのだから,内容は支離滅裂で薄っぺらく質問されても答えられないですよね。〈ニセモノ〉と見破ることができる「見る人」とは,学問に熱心に取り組み,苦労しながら,あるいは苦労を楽しみながら自ら学んでいる人たちや,損得勘定を考えず,利己主義に陥らないで自己犠牲を厭わない人たちのことです。 「自分さえ良ければそれでいい」という考えは,人を裏切り,自己を破滅へと導きます。

他人のものを盗用して、ちゃっかり自分の目的に役立てるずるさ,それが自分たちの評価を下げていることに気づかない。また,その行為がこれまでやってきたこととの間に,ブレを生じさせていることにも気づいていない。

育児や教育にかかわることを行っている団体が,「こどものため」だのなんだの言いながら、結局は金儲けという自分たちの損得しか考えていない。そのための盗用はお構いなし!!! それが、当該団体のモットーなのでしょうから,まともな理念や信念を持たない団体(組織)は,もはや団体(組織)ではなく,自然と崩壊していくことでしょう。

けれど,本当に許せない!!!
こどもたちが,めちゃくちゃになる!!!

自分がしていることに気づいていますか?!
あなたたちがしていることを,こどもたちに胸を張って言えますか?!
悪徳な醜い姿を,眼前のこどもたちはしっかりと見ていますよ!!
それが,こどもたちの将来に大きく影響しますよ!!
これが,あなたたちが目指す育児や教育のあり方ですか?!
1番にその犠牲となっているのは,未来を担う「こどもたち」ですよ!!

この団体に、育児や教育にかかわることはしてほしくないと本気で抗議します!!

育児や教育はビジネスではありません!!!!!
人の褌で相撲を取るのはやめてください!!!!!

当塾だけではなく,他にも犠牲となっておられる方や団体は,山程おられるのだろうと拝察いたします。

「人の褌(ふんどし)で相撲を取る」

【意味】
人の褌で相撲を取るとは、他人のものを利用したり、他人に便乗したりして、利益を得ること。

【注釈】
相撲を取るには褌がなくてはならないが、自分の褌がないならやめればよいのに、他人の褌を出させてそれを使い、うまいことする意味から。他人のものを利用して、ちゃっかり自分の目的に役立てるずるさをあざけって言う。

参考:故事ことわざ辞典

 2 自らの非を認めること

日常生活の中で,「謝りなさい」とこどもに言うことがあると思います。
では,自らはどうでしょうか。こどもに対し素直に「ごめんなさい」と謝ることができていますか?

「きつく言いすぎた…」「ここは別に怒るところじゃなかった…」「感情的になりすぎた…」など,後になって反省することもありますよね。そのような時,「さっきはごめんね。」「強く言いすぎたね。」など,言葉にしてこどもに伝えていますか?

育児や教育に携わっていれば,誰でもあることだと思います。自らの失敗や非をこどもに対して素直に謝罪する姿は,こどもが大人を信頼することにつながっています。なぜならば,こどもと大人が対等の立場になり,「大人も,ちゃんと謝るんだ」というこどもの認識が心の扉を開かせ,ラポールが形成されていくからです。

他人を責める(責任を転嫁する)行為は、幼い頃に始まる。たいていは親の怒りや罰から逃れるためだが、同時に、自尊心と自己イメージを保つためでもある。やがてこの行動パターンは定着し、大人になっても往々にして同じことを繰り返すようになる。

誰かのせいにするのは、愚かな戦略だ。誰もが見抜いているからというだけではない。不誠実だから、関係を壊してしまうから、あるいは自尊心を保とうとしながら実際には弱めてしまうからだろうか。否、人を責めるのが間違っているのは、もっと本質的な理由による。責めることで、人は学ばなくなるのだ。

責めを負う(責任を取る)ことはあなたの立場を弱めるのではなく、むしろ強化する。まず、いったん何かに対して責任を負えば、あなたはそれについて何かをなすことができる。それがあなたの強みとなるのだ。それだけではない。責任を取るには勇気が必要であり、勇気を見せることが強さの証明になる。

責任を取るためには、自分自身とその能力に自信を持てなくてはならない。失敗を受け入れる力が必要なのだ。失敗から学び、いつの日か成功できると信じる十分な自負心も必要だ。失敗は自分という人間を決定づけるものではなく、人生には付きものであることを受け入れよう。

自らの非を認めなければ信頼も成長機会も失う,ピーター・ブレグマン :ブレグマン・パートナーズCEO, ハーバード・ビジネス・レビュー,
(2014,02)

責任をとるという行為,この姿を眼前のこどもたちはしっかりと見ています。ましてや,こどもが理不尽と感じていたり,大人の明らかな過失であったりしても,「ごめんなさい」と言えない大人が多いと聞きます。それが保護者(親)であったならば,日常生活の中で「ごめんなさい」と素直に謝罪する環境がないので,自然とこどもは「ごめんなさい」と言えないこどもになります。

こどもたちは,日常生活の中で観察学習1)• 自分自身が直接的な体験をしなくても,他の人の行動を観察することで,その行動を獲得するということ。この場合,他の人はモデルとしての機能を持っている。実際の人物だけでなく,アニメのキャラクターなども含まれる。
• 厳密には,モデルと同じ行動を単純に取り入れる模倣(モデリング)と区別し,ある状況でのモデルの行動とその結果を観察し,モデルの行動そのものではなくそれらの因果関係を学習すると定義されている。(参考:第4回 学習心理学,心理学概論,放送大学)
(模倣(モデリング)2)まねること。にせること。(参考:三省堂 大辞林 第三版)ではない)を繰りかえし,たくさんのことを学びながら発達(成長ではなく発達)しているのです。

そういう意味でも,こどもたちの身近にいる保護者(親)は,とても責任のある立ち場であることを忘れてほしくありません。こどもに毅然とした姿を見せるだけではなく,こどもと同じ目線で,こどもと対等な立場で,こどもに「親」として育ててもらっているという感謝を忘れず,過ちは過ちとして認め,心を込めて謝罪することをしてほしいと思います。

また,自らの非を認めるということは,自らの成長でもあります。誰かに何かを言われたり,否定されるようなことがあった時に,その「言葉」を真摯に受け止めることができなければ,そこから先への発展はありません。いつまでも,そのままです。聞く耳を持たない態度を貫き通せば通すほど,人は離れていくばかり。気が付いた時には,独りぼっちということもあります。そのような人生を過ごし,最期を迎えたいですか?

いずれ迎えるであろう老年期の「自我の統一」に向けて,自分の在り方を今一度振り返ってみることも必要なのかもしれません。

 3 自分を見つめ直す力〈メタ認知〉

自分を客観視する能力を「メタ認知」と言います。
これは脳科学の世界でも言われていることで,脳科学者の茂木健一郎さんは「自分の限界を超えて大きなことを成し遂げられる人は、ほぼ例外なくメタ認知能力が高い」とおっしゃっておられます。

また,メタ認知能力が高い人・低い人の特徴として次のように記述されていました。

メタ認知能力が高い人の3つの特徴

  1. 客観的な視点で自分に可能かどうかを判断できる
  2. 自分に足りない能力を見極められる
  3. 自分の失敗を肯定でき、反省と改善を実践できる

参考:茂木健一郎(2018.4):『脳リミットのはずし方 自分の限界を超えろ!』,客観的な自己評価「メタ認知」に磨きをかける!,[キンドル版],検索元 amazon.com

メタ認知能力が低い人の3つの特徴(「ダニング=クルーガー効果3)アメリカのコーネル大学で,デビッド・ダニング博士とジャスティン・クルーガー博士により行われた,どのような人が正しく自己評価でき、またどのような人が自己評価を誤る傾向があるのかという研究」)

  1. 能力の低い人は自分のレベルを正しく評価できない
  2. 能力の低い人は他人のスキルも正しく評価できない
  3. よって、能力の低い人は自分を過大評価する

参考:前掲書

「能力が低い人は自分を過大評価する」という点については,仮想的有能感4)他者の能力を低く見ることで自己評価を吊り上げ、一時的で無意識的な自尊感情を高める習慣的な感覚のこと。速水敏彦 名古屋大学大学院教育学研究科教授(教育学博士)の術語。も関連しているのだろうなと思います。

あくまでも私の感じ方ですが,特に「人」を相手にする仕事は,はったりや生半可な気持ちでやるべきではないと強く感じています。また,その感じ方(言述)に少しでも反した気持ちがあるのならば,「人」を相手にする仕事はやるべきではないとも思います。なぜならば,そこには「自分さえ良ければそれでいい」という利己主義5)自分の利益を最優先にし、他人や社会全般の利害など考えようとしない態度。身勝手な考え方。エゴイズム。自己主義。 ⇔ 利他主義,三省堂 大辞林 第三版が働いているからです。「自分さえ良ければそれでいい」という気持ちがある限り,いくら「相手のため」と謳っていても,装った鎧は脆くも崩れ落ち,最終的には「相手を心から傷つける」ことになるのです。(ある大学教授も同じことをおっしゃっておられました。)

私の場合,育児や教育に携わる仕事をするからには,相手(こどもたちや保護者(親),教員,塾生など)にとって失礼のないように,関連する学問に精通し臨床経験を積む必要があると考えています。もしここに,「自分さえ良ければそれでいい」というような利己主義が働いていたならば,「何のため」に学問に精通し臨床経験を積む必要があるのでしょうか?

心理学や教育学を学び始めると,それに関連した哲学や脳科学,医学や療育(神経発達症等)など,必然と系統的に学習し,学問を深めていくようになります。育児・教育支援だけでも,本当に数多くのことを幅広く学んでいくのは自然なことではないでしょうか? その中で,これまで知らなかったことに気づくことができたり,自分の認識と他の人の認識とが違っていたり,批判を受けたり,そうしたやり取りをしっかりと受け止め,自分を見つめ直す〈メタ認知〉をしていけば,自ずと〈自己成長〉をしていけるのです。

自分自身をしっかりと客観視できる人が、メタ認知能力が高い人です。一方で、メタ認知能力が低い人の特徴として挙げられるのは、「自分の能力を冷静に把握できない」ということになります。言いかえれば、自分の意見や考えていることは常に正しく、自分には間違いはないと疑わない、自己中心的な考え方の持ち主です。

自分の能力をついつい過大評価してしまう場合や、それを裏付ける確固たる根拠に乏しい場合もこれに該当します。自分の能力に対する認識と現実にずれが生じているときでも、自分を客観視できないので、たとえ何かにチャレンジして失敗しても、そこから成功するための軌道修正がうまくいきません。

このメタ認知能力を常に働かせることができるようになれば、いま自分がチャレンジしていることについて、「第三者的な目」で分析できるようになってきます。

参考:前掲書

学問を深めていけばいくほど,〈自分〉のレベルも〈人〉もスキルもよ~く理解できるようになってきました。しっかりと見極められるようになるには,自ら真摯に学び続け,教養を身につける必要があります。

教養とは
  1. おしえそだてること。
  2. 社会人として必要な広い文化的な知識。また、それによって養われた品位。
  3. 単なる知識ではなく、人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために、学び養われる学問や芸術など。

参考:三省堂 大辞林 第三版

新学習指導要領の改訂に込められた
「生きる力 学びの,その先へ」

新しい時代を生きるこどもたちに必要な力である三つの柱である,
「知識及び技能」「思考力,判断力,表現力」「学びに向かう力,人間性など」。

三つの柱の根底にあるのは,
「「何のために学ぶのか」という学習の意義の共有」があります。

こどもたちに,このような力を付けようとしている大人が〈学ぶ〉ことを成さずして,こどもたちやこどもにかかわる保護者(親)に何を教えることができるのでしょうか? 他所から取って付けた上辺だけの〈ニセモノ〉で,こどもたちや保護者(親)が何を学ぶことができるのでしょうか?

無責任で怠慢な大人の様を,誰よりも傍で見ているこどもが学んでいくことは,
「他力本願」「責任転嫁」 「言い訳」「逃げ癖」「ずる賢さ」といった不道徳であり,最終的には「自分のためだけに,どのように楽(らく)をして生きていくか」に収斂されると,私は実感しています。

「楽(らく)をする」ことと,「苦しまない」ことは違います。「楽(らく)」だけを求めれば求めるほど,独善家になるだけです。 苦しいからこそ,もがいてもがいて這い上がっていく。それが「生きる力」となる。マイナスな出来事に直面した時こそ,今の自分を超える時なのです。

眼前のこどもたち,自分を信じてくれる人たちに対して「裏切る行為」をしないように,非を認めること,謝罪をすること,失敗や困難に立ち向かうこと,自ら学ぼうとすること,自分を客観視することを常に念頭に置いて,相手を敬う気持ちを大切にしてほしいと思います。

このブログを契機に,今一度,自らの在り方を見つめ直す機会としていただけたら幸甚です。

©2019 Sayoko Sumimoto

References   [ + ]

1. • 自分自身が直接的な体験をしなくても,他の人の行動を観察することで,その行動を獲得するということ。この場合,他の人はモデルとしての機能を持っている。実際の人物だけでなく,アニメのキャラクターなども含まれる。
• 厳密には,モデルと同じ行動を単純に取り入れる模倣(モデリング)と区別し,ある状況でのモデルの行動とその結果を観察し,モデルの行動そのものではなくそれらの因果関係を学習すると定義されている。(参考:第4回 学習心理学,心理学概論,放送大学)
2. まねること。にせること。(参考:三省堂 大辞林 第三版)
3. アメリカのコーネル大学で,デビッド・ダニング博士とジャスティン・クルーガー博士により行われた,どのような人が正しく自己評価でき、またどのような人が自己評価を誤る傾向があるのかという研究
4. 他者の能力を低く見ることで自己評価を吊り上げ、一時的で無意識的な自尊感情を高める習慣的な感覚のこと。速水敏彦 名古屋大学大学院教育学研究科教授(教育学博士)の術語。
5. 自分の利益を最優先にし、他人や社会全般の利害など考えようとしない態度。身勝手な考え方。エゴイズム。自己主義。 ⇔ 利他主義,三省堂 大辞林 第三版

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